「ら抜き言葉」とは、「見られる」を「見れる」、「食べられる」を「食べれる」、「来られる」を「来れる」のように、可能の意味を表すときに「ら」を抜いて用いる言葉(動詞)のことであり、日本語の乱れを表すものとしてよく取り上げられます。
「ら抜き」言葉ではなく「ら抜け」言葉?
「ら抜き言葉」に批判がある一方で、「ら抜き」言葉ではなく「ら抜け」言葉であり、言葉とは時代とともに変化するものであるから、それを文法上の誤りとして否定する必要はないという意見もあります。
たしかに「ら」を抜くのは可能の意味のときに限られるので、「られる」を使った場合に生じる意味の重なりがなくなるという利点があり、言葉の変化・進化を表すものだといえるかもしれません。
とはいえ「ら抜き言葉」に違和感や嫌悪感を覚える向きが少なからずあるのも事実です。また、テレビや新聞などのメディアでは「ら抜き言葉」は使っておらず、報道対象の人物が「ら抜き言葉」を使った場合でも、テロップや記事では「ら」を入れた表記にしています。
「ら抜き言葉」はまだ完全に是とされているわけではないので、文章を書くときはなるべく「ら」を入れた正規の表現を使うことをおすすめします。ただし小説の会話文においては、口語の自然な会話を表現するために「ら抜き言葉」を使っても問題ないでしょう。