小説や物語を書く際には、一人称か三人称を選択することになります(「きみ・あなた」などを使う二人称もありますが、一般的ではないので省きます)。
一人称小説は「私」が語り手となって、主観的に叙述する形式のものです。一方、三人称小説は「彼・彼女」など三人称を主語として用い、「神の視点」とも呼ばれる全体を鳥瞰したポジションから語り手が客観的に物語を進める形式のものです。
意図的な仕掛けとして用いるなら別ですが、途中で人称を変化させると読者が混乱するので、人称は統一するようにしましょう。
また、一人称小説においては、本当に一人称の視点で可能な表現なのかを確認してみてください。
一人称というものに疑問を投げかける小説
サミュエル・ベケットの「マロウンは死ぬ」は、主人公のマロウンがその場で練習帳に書きつけた文章によって成り立っていますが、その中に以下のような文章があります。
また眠ってしまったらしい。手探りをしてみるが、だめだ、練習帳は見つからない。だが鉛筆は手に持ったままだ。(中略)
眠ってしまったらしい、云々といま書いた。これくらいの嘘なら大目に見てもらえると思う。
サミュエル・ベケット,『マロウンは死ぬ』,高橋康也(訳),(白水社,1969),71.
この文章のどこに“嘘”があるかわかりましたか。ここでいう嘘とは、練習帳が見つからず鉛筆を手に持ったままなのに、そのことを現在形で練習帳に書きつけていることです。
一人称ではありえない記述をして、それを直後に嘲るように自ら明かすということを、物語の主人公であるマロウンはしているわけですが、これはさらに入れ子構造になっていて、著者であるベケット自身の自嘲ともいえます。
物語を書くにあたっては、誰がどのように書いているのかということをつねに自覚することが大切です。
とある部屋で財産目録と「物語」を作る老人マロウン。サポスカット、マックマンと名前を変えていく物語の主人公の歩みは、マロウンの人生と重なっていく。
ノーベル賞作家、ベケットの代表的三部作の第二作目。
※翻訳者の違いにより「マロウン死す」というタイトルになっていますが、記事で言及している「マロウンは死ぬ」と同じものです。